豆子郎の歴史

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創業者はエンジニア

満州鉄道のエンジニアだった創業者 田原美介は、中国の豊かな食文化の中でとことん味覚を鍛えられ、戦後生まれ故郷の山口に帰ってきました。当時の貧しい日本の食文化に愕然としながらも、山口の名産である「山口外郎(ういろう)」を素に外郎(ういろう)とは一線を画したオリジナルのものを作りたいとエンジニア魂に火がつき、寝食を忘れるほど菓子づくりに没頭し、味への創意工夫が始まりました。

「豆子郎」の誕生

気の遠くなるような試行錯誤を重ねた末、遂に独自の配合と製法で独特の舌触りと口溶けを兼ね備えた「生地」が誕生しました。そこに「豆」を混ぜ蒸しあげることで、甘さと風味が引き立て合う新たなお菓子が誕生したのです。独特の食感や味わいをより楽しんでもらえるようにと細長い拍子木状の3口で食べ切る長さにしたのも美介のアイデアです。
また元々菓子職人ではない「しろうと」が作り出したお菓子であると言う意味に「豆」を混ぜ込み、山口外郎(ういろう)を素にして生まれた子という経緯から「子郎」の字を与え【豆子郎(とうしろう)】と名付けました。

「密封包装」技術の開発

創業当時和菓子は、日持ちがしないことが当たり前の時代でしたが、エンジニアであった美介は当時の常識を覆す「密封包装」を考案し実現させました。当時の技術水準では豆子郎のように厚みのあるモノを密封包装し加熱殺菌できるフィルムがなく、手探り状態で素材から研究し、幾多の経験を積み重ねながらついに完成させました。この「密封包装」により日持ちが長くなるだけでなく、湯煎などで再度温めることが可能になり、蒸し立ての味を再現することができるようになり「豆子郎」が全国に広まるきっかけとなりました。

創業当時の味を再現

そして創業より30数年を経た昭和60年、創業当時の「豆子郎」を再現すべく誕生いたしましたのが、「生絹(すずし)豆子郎」です。豆子郎が生み出した「密封包装」による「日持ち」とは別の次元で、包装技術がなかった創業時の味を再現することは、私どもにとっても冒険でございました。幸いなことに、日持ちする「豆子郎」とは異なるみずみずしい味わいがご好評を賜り、密封包装の豆子郎と共にご愛顧をいただき、今日に至っております。

進化する豆子郎の味

その日の朝に蒸し上った「豆子郎」を店頭に並べお客様に提供することは、創業当時からの変わらない私たちのこだわりです。自然の恵を材料として豆子郎は生まれます。日々同じであって同じではない。お客様の味覚の「進化」に応えられ、美味しいとお客様に喜んでいただき続けるために、職人は日々試行錯誤し定番革新を繰り返しながら長年培った技術をもとに最高の「豆子郎」を日々生み出しています。
創業以来受け継がれているその精神を、暖簾とともに繋ぎ守り続けたい。
そんな想いを、新たに【簾子豆子郎(れんじとうしろう)】と名を改め、この先もお客様とともに歩んでまいります。